反町隆史はジャニーズ時代に解雇され同期との共演NGに?写真あり

出典:女性自身

今回は、反町隆史さんについてご紹介します。

女優の松嶋菜々子さんと結婚し、2人のお子さんにも恵まれ、仕事ではドラマ相棒で水谷豊さんと共演を果たすなど、順風満帆な反町隆史さんですが、芸能界にデビューした頃はジャニーズ所属でした。ジャニーズ時代の様子や、ジャニーズを解雇された理由、さらには共演NGとされている同期名前についても調べてみました。

 

反町隆史はジャニーズだった?ジャニーズ時代の同期の名前は?

出典:girlschannel.net

反町隆史さんがジャニーズ事務所のアイドルとして活動していたのは中学3年生の頃です。

当時は、本名である野口隆史という名前で活動していました。

当時の反町隆史さんは「平家派」というグループに所属しており、TOKIOの国分太一さんやV6の坂本昌行さんと活動を共にしていました。

平家派が結成されたのは、1988年で、当時飛ぶ鳥を落とす勢いで国民的アイドルと言われていた光GENJIのヒット曲である「剣の舞」のバックダンサーグループとして活動していました。

スポンサードリンク

当時の主なメンバーは、反町(野口)隆史さんの他に

城島茂さん(TOKIO)
山口達也さん(元TOKIO)
国分太一さん(TOKIO)
坂本昌行さん(V6)
長野博さん(V6)
井ノ原快彦さん(V6)

と、現在もジャニーズ所属のアイドルとして活躍しているメンバーばかりでした。

ジャニーズ事務所に所属していたのは14~16歳の間ですので、高校入学時には事務所を辞めていたということになります。

 

反町隆史はジャニーズ事務所を辞めたのではなくクビにされた!

出典:koimousagi.com

今では押しも押されぬ存在となり、俳優界で活躍する反町隆史さんですが、意外にも事務所を辞めた理由は、俳優になるためではなかったようです。

何と、自ら辞めたのではなく、事務所から解雇されたとか。

ジャニーズ事務所を解雇された人といえば、覚せい剤取締法違反で逮捕された赤坂晃 、度重なるルール違反行為を繰り返したとして専属契約を解除された田中聖の名前が思い浮かびますが、反町隆史さんが解雇されたのはなぜなのでしょうか。

この頃の反町隆史さんは、かなりやんちゃだったとのこと。

ダンスレッスンに参加しないなど、不真面目な面が多々見受けられ、素行については事務所から度々注意を受けていたのですが、ある時ファンに手を出したことが事務所にバレてしまい解雇に至ったとのことです。

引用元:ラヴォール

反町隆史さんがジャニーズ事務所に所属していたのは中学時代から高校時代(14歳から16歳の頃)にかけてのことですので、とても多感な時期でもあります。

若気の至りと言えば甘いと指摘されるかもしれませんが、反町隆史さんほどのルックスであればモテないはずはありません。言い寄ってくる女性を全て断りきるというのも物理的に不可能だったのでしょう。

ですが、押しも押されぬ大物俳優になった今では、ジャニーズ時代の失態を責める声はほとんど聞こえてきません。

 

反町隆史がジャニーズアイドルからモデルへ

出典:purulife.site

反町隆史さんはジャニーズ事務所を辞めた後、16歳の頃からモデル事務所に所属してファッションモデルの仕事をしていました。そして何と、モデルの憧れの舞台でもあるパリコレに出演しています。

バックダンサーとしての才能も然ることながら、自分を魅せることにも長けていた反町隆史さん。やはりただ者ではなかったということが良くわかりますね。

ジャニーズ事務所を解雇されたマイナスを跳ね返す底力が凄かったのでしょう。

 

反町隆史がモデルから俳優へ

 

出典:pinterest.jp

反町隆史さんはモデルとして大活躍していた1994年に、現在所属している事務所である研音に移籍し、本格的に俳優活動をスタートさせます。

当時の反町隆史さんの年齢は20歳。ジャニーズ時代と同じく野口隆史という名前で活動していた反町隆史さんに対して、研音の社長が特別なプレゼントをくれました。

「お前は龍のような男になれ!」という願いから、ボクサーの龍反町から苗字を拝借し、本名の野口隆史から一転して反町隆史という芸名で俳優活動を始めることとなりました。

引用元:pinky-media.jp

改名して大活躍するようになった芸能人はたくさんいますが、今から思えば、この改名も、その後の反町隆史さんの大活躍に一躍かっているのかもしれませんね。

 

改名後に出演したドラマ『ビーチボーイズ』や『GTO』は、いずれも視聴率30%越えを記録し、当時の若者の心を鷲掴みにしていました。

飛ぶ鳥を落とす勢いでスターの階段を登っていく反町隆史さんは、俳優の仕事の傍ら、ミュージシャンとしても活動を始めます。

ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラがギターで参加した、デビュー・シングル『Forever』に続き、3枚目のシングル『one』では、作曲を氷室京介が担当するなど、大物ミュージシャンとの共演を次々に果たし、ミュージシャンとしても大成していきます。

そして、反町隆史の代表曲といえば、フジテレビ系ドラマ『GTO』主題歌である『POISON 〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜 』です。

 

音楽もできる俳優として、反町隆史さんの人気は不動のものとなります。

歌唱力が優れているとは必ずしも言えないかもしれませんが、圧倒的な存在感で、聴衆を虜にしていました。

 

反町隆史はジャニーズ同期との共演NGって本当?

 

ジャニーズ事務所は、問題を起こしたタレントに対してとても厳しい制裁を下すことで有名な事務所でもあります。

辞めたタレントに対して様々なペナルティが課されることも多々あるのですが、中でも特徴的なのは現役ジャニーズタレントとの共演NGです。

かつてジャニーズ事務所に所属していた田原俊彦さん、KAT-TUNの赤西仁さんや田中聖さんが現役ジャニーズタレントとの共演NGペナルティを下されている他、ジャニーズ時代の楽曲や映像の使用を禁止されています

では、かつてジャニーズ事務所を解雇された反町隆史さんに対しては、どのようなジャニーズの洗礼やペナルティが下されたのでしょうか。

平家派で一緒に活動した同期メンバーである、TOKIOの城島茂さん、国分太一さん(元メンバーである山口達也さんも)や、V6の坂本昌行さん、長野博さん、井ノ原快彦さんとの共演はないことから、同期との共演はNGなのかもしれません。

出典:news-postseven.com

 

しかし、元TOKIOのメンバーの山口達也さんがかつて出演していたラジオ番組の中で、反町隆史さんについて以下のように語っていました。

なぜか彼(反町隆史)のことを知ってるんですよ笑。昔と変わらずイイ奴でした

親密とまではいかないのかもしれませんが、わずかながら交流はあるようです。

ひょっとすると、共演NGというわけではなく、お互いに別々の道を歩む者同士、共演はしないまでも、陰で切磋琢磨し合う関係を築いていたのかもしれません。

芸能界を引退される前の島田紳助さんと明石家さんまさんの関係に似ているのではないでしょうか。

 

反町隆史とジャニーズとの関係は良好?

反町隆史さんは、平家派のメンバーとの共演こそありませんが、同期以外のジャニーズメンバーとは、数々の共演を果たしています。

 

反町隆史と山下智久がドラマで共演

出典:japan-drama.com

ドラマ「最高の人生の終わり方」で、主演の山下智久さん演じる、井原真人の兄・井原健人役で共演しています。

撮影現場での雰囲気が非常に良かったそうですので、ひょっとすると、共演しただけではなくプライベートでも飲みに行く仲にまで発展している可能性がありますね。

 

反町隆史が香取慎吾の番組に出演

 

出典:girlschannel.net

(当時ジャニーズに所属していた)SMAPのメンバーが出演していたフジテレビの国民的バラエティ番組「笑っていいとも」にゲストとして出演したり、香取慎吾さんが司会を務めたテレビ朝日のバラエティ番組「SmaStation」に出演していました。

ですので、ジャニーズに所属するタレントと共演することは許されているようですし、共演していたときの様子を見直してみても、仕事の話だけではなく、お互いのプライベートにも踏み込んで話していたことから、ジャニーズ事務所と反町隆史さんの間に溝があるようにも思えませんでした。

 

反町隆史のようにジャニーズに所属していた芸能人は誰?

出典:biz-journal.jp

ジャニーズ事務所を退所してもなお、芸能界で活躍する人物はいますが、退所後の活動環境は必ずしも良好とは限りません。

退所後に、当該タレントに対してジャニーズ事務所側から圧力がかかるケースも多々あるようですので、元ジャニーズアイドルと言っても、イバラの道を進むことを余儀なくされるケースが大半です。

そんな中、ジャニーズ事務所を退所した後も大活躍を続ける人物がいるのも事実です。

 

反町隆史のようにかつてジャニーズに所属していた芸能人~郷ひろみ~

出典:Instagrammer News

元ジャニーズアイドルの代表格と言えるのが郷ひろみさんです。

郷ひろみさんは1971年(16歳の頃)に、銀座で行われた映画オーディションの場でジャニー喜多川さんにスカウトされてジャニーズ事務所に入所しました。

入所後に発売したデビューシングル『男の子女の子』が大ヒットしたほか、テレビドラマにも出演するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いでスターの階段を駆け上がっていきました。

そんな順風満帆な芸能生活の真っ只中にいた1975年(18歳の頃)にジャニーズ事務所を退所することを決意します。

音楽やドラマなどといった多忙な芸能生活に追われ、このままの生活を続けていくと将来的には何のスキルもないままになり、世間から見放されてしまうのではないかという強烈な不安に駆られたことが、ジャニーズ事務所を退所することを決断した理由でした。

ジャニーズ事務所を退所後、しばらくの間は芸能活動を休止していましたが、その後は大手事務所である「バーニングプロダクション」へ移籍し、ジャニーズ事務所にいた頃以上の活躍を続けています。

 

反町隆史のようにかつてジャニーズに所属していた芸能人~川崎麻世~

出典:Instagrammer News

川崎麻世さんは、1976年(13歳の頃)の夏休みにジャニー喜多川社長にスカウトされて大阪から東京へ上京し、ジャニーズ事務所に入所しました。

その後、ブロマイドの売り上げがナンバーワンを記録するほどの人気を誇りましたが、本人の昔からの夢であった俳優への道に本格的に進みたいという想いから、1989年(26歳の頃)にジャニーズ事務所を退所しました。

ただ、川崎麻世さんのジャニーズ事務所退所に対しては、ジャニーズ事務所側が相当な圧力をかけてきたとも囁かれています。

というのも、ジャニーズ事務所が川崎麻世さんを世に売り出すために相当な額の投資をしていたからです。

決して円満退所とは言えない状態ではありましたが、その後の活躍は折り紙付きです。舞台、恐妻家タレントなど、一躍有名タレントとしてテレビで大活躍する日々が続きました。

 

反町隆史のようにかつてジャニーズに所属していた芸能人~AAAの日高光啓~

出典:Instagrammer News

現在はAAAのメンバーとして活躍している日高光啓さんも、かつてはジャニーズ事務所に所属していました。

中学生の頃に友人と一緒にジャニーズに履歴書を送ったところ、ジャニーズJr.に選ばれ、ジャニーズ事務所に入所することが決まりました。

NEWSの小山慶一郎さんと同期で、ジャニーズJr.時代は様々なジャニーズアイドルのバックダンサーとして活躍する傍ら、雑誌に登場することもありました。

高校2年生の時に「エイベックス男募集!」というオーディションを受け、見事に合格し、2005年にジャニーズ事務所を退所しました。

その後は、エーベックスのオーディションに合格して、現在はAAAのメンバーとして活躍しています。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

スポンサードリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました